「歴史」に学ぶ!会社経営 ビジネスのヒントは先人の知恵にあり
企業が直面する様々な経営的課題をどう乗り越えるべきか?
経営者なら誰もが頭を悩ませるもの。
実は、多くの優秀な経営者たちは「歴史上の偉人や出来事」からヒントを得ていました!
では実際に、歴史からどのような事を学び、どのように経営に活かす事ができるのでしょうか。
新米経営コンサルの主人公・歴子と一緒に学んでいきましょう!
登場人物
歴子(23)
とあるコンサルティング会社に所属する新人コンサル。考えるよりもとにかく行動に移すタイプ。割と臆せずなんでも発言できる強いメンタルの持ち主で、先輩のはずの歴彦のことをやや軽く見ている節あり。梱包素材の「プチプチ」を見ると全部潰したくなる性分。
歴彦(28)
歴子と同じ会社の先輩コンサル。生来のオタク的気質から知識の幅が広く、特に「歴史」に関しては一家言あり。こう見えて意外と敏腕で部署のエース的存在。口癖は「コンビニとA○azonがあれば、人類はあと100年は戦える」
CASE.3「 空気の読めない上司にはなるな! 」
※この漫画はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには一切関係ありません。
今回のプロファイル:織田信長(1534~1582)
尾張国(現在の愛知県西部)の戦国大名。
若い頃は「大うつけ」と称されるほど、突飛な行動が多かったことが記録に残っていますが、織田家の家督を継承した後、尾張領内を統一、次いで隣国の美濃も攻略に成功。
遂には、足利義昭を将軍に擁立して、京へ上洛を果たします。
また、最新の軍事技術や革新的な戦術を駆使し、強大な軍事力を背景に、天下統一まで後一歩のところまで迫るも、家臣の明智光秀に謀叛を起こされ、世に言う「本能寺の変」で非業の最期を遂げました。
豊臣秀吉、徳川家康とともに「戦国時代の三英傑」に数えられ、知らない日本人はいない!くらいの知名度を誇る戦国武将のひとりですね(ちなみに某テレビ番組の武将総選挙では堂々の二連覇を達成)。
主に軍事面での印象が強い信長ですが、同時にビジネス面についても、非常に優れた才覚を発揮しています。
元来、信長の織田家は大大名などではなく、守護・斯波氏に仕える守護代…よりさらに下の三奉行のひとつであり、いわば中間管理職程度の家柄でしたが、祖父・信定の時代に、東西物流の要衝であった水運貿易都市・津島を手に入れ(現在では面影はありませんが、かつては伊勢湾交易の玄関口として、水運で大いに繁栄していました)、さらに父・信秀の時代には、熱田神宮の門前町として古くから栄えた商業都市・熱田の地を獲得し、巨万の富を手にしていました。
いわば信長は「資産家のボンボン」やったんですね(笑)。
そのような出自のため信長自身も幼い頃から、鋭い経済感覚が養われていたのでしょう。
楽市楽座や街道整備、関所の廃止、生野銀山の銀の生産量増加、大津・草津・堺などの商業都市の掌握、貨幣の流通整理…etc. と、多岐に渡る経済政策を実行しています。
ちなみに信長は、焼き物の「瀬戸焼」に対し保護政策を取って地域産業の振興にも努めており、同時代に「茶の湯」がセレブ階層で一大ムーブメントを巻き起こした事も相まって、瀬戸焼は一躍、全国区レベルの産業に成長。
その名は焼物の代名詞(焼物全般を「瀬戸物」と呼びますね)として定着しました。
(現代のセロテープやホッチキス、チャッカマンみたいな存在)
劇的過ぎる生涯を駆け抜けた様は、まさに「戦国時代の覇王」と言うに相応しい人物ですが、その最期のみならず「信頼した人物からの裏切り」に、大いに悩まされた生涯でもありました。
掲載のマンガでも具体例を挙げていますが、身内や信頼関係にあった人物から、ここまでたび重なる裏切りにあったのは、裏切り・離反・下剋上が当たり前だった戦国時代とは言え、なかなかいないのではないでしょうか。
一般的に信長は、旧来の伝統や慣習を軽んじ、残虐性や猜疑心の強さなど、ネガティブな部分が強調される傾向にあります。
また家臣に対しても、苛烈なほど成果絶対主義で酷薄だったため、恐怖心や将来への不安からついて行けなくなって裏切られた、というイメージかと思われますが、その一方で、世間の評判を非常に重視し、家臣たちの意見にも耳を傾けていたという異論が存在しますし、伝統や慣習を軽視することはなく、義昭に対しても、決して傀儡として利用していたのではなく、「天下静謐(安心して暮らせる秩序ある世の中)」という共通のビジョンに向けて、室町幕府と将軍の権威復興のため、臣下として尽力していたことも分かっており、その人物評については、後世の創作含めてまだまだ検証の余地がありそうです。
ただし「空気が読めない」人物だったことは確かです!
意外なことに、前述した5人の裏切りに遭った際も、毎回「え?マジで?なんで裏切るの!?Σ(´□` ;)」って真剣に驚いているんですね。
松永久秀の二度目の裏切りも、信長のイメージ的には「コイツまたきゃ!まぁあかん!●したる!! (ꐦ°д°) 」って言い出しそうなもんですが(笑)、実際には「理由あるなら聞くからさ(´・ω・`)」と使者を送っていますので、全く心当たりがなく、裏切られるとは微塵も思っていなかったことが伺えます。
(『三河物語』によれば、光秀の裏切りに至っては、当初、自分の息子である信忠が裏切ったかと思ったそうです)
おそらく、信長は空気を読まなかったので、臆することなく改革を推し進めることができたのでしょう。
そしてその反面、空気を読まなかったので、家臣が何を思っているか察することができず、謀叛を起こされたとも考えられます。
以前、部下が働きやすい環境を作る上司という例として、武田信玄の政策をご紹介しましたが、この視点が信長には欠けていたのではないでしょうか。
些細な事のようですが、信長が目前にまで迫った天下に届かなかった事実が、決して侮ってはいけない問題であることを、物語っているのかもしれません。