駆け出しコンサルタント歴子の「ビジネスde天下統一」#2

駆け出しコンサルタント歴子の「ビジネスde天下統一」-上杉謙信編-
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「歴史」に学ぶ!会社経営 ビジネスのヒントは先人の知恵にあり

企業が直面する様々な経営的課題をどう乗り越えるべきか?
経営者なら誰もが頭を悩ませるもの。
実は、多くの優秀な経営者たちは「歴史上の偉人や出来事」からヒントを得ていました!
では実際に、歴史からどのような事を学び、どのように経営に活かす事ができるのでしょうか。
新米経営コンサルの主人公・歴子と一緒に学んでいきましょう!

登場人物

登場人物:歴子

歴子(23)
とあるコンサルティング会社に所属する新人コンサル。考えるよりもとにかく行動に移すタイプ。割と臆せずなんでも発言できる強いメンタルの持ち主で、先輩のはずの歴彦のことをやや軽く見ている節あり。梱包素材の「プチプチ」を見ると全部潰したくなる性分。

登場人物:歴彦

歴彦(28)
歴子と同じ会社の先輩コンサル。生来のオタク的気質から知識の幅が広く、特に「歴史」に関しては一家言あり。こう見えて意外と敏腕で部署のエース的存在。口癖は「コンビニとA○azonがあれば、人類はあと100年は戦える」

CASE.2「軍神はビジネスにおいても戦上手だった!?」

駆け出しコンサルタント歴子の「ビジネスde天下統一」-上杉謙信編-
駆け出しコンサルタント歴子の「ビジネスde天下統一」-上杉謙信編-
駆け出しコンサルタント歴子の「ビジネスde天下統一」-上杉謙信編-

※この漫画はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには一切関係ありません。

今回のプロファイル:上杉謙信(1530~1578)

越後国(現在の新潟県)の戦国大名。
越後守護・上杉家に仕える守護代・長尾為景の四男(※諸説あり)として誕生。19歳の時、兄・晴景に変わり春日山城主となり、31歳で上杉家へ養子に入り、上杉氏が世襲していた室町幕府の重職・関東管領を引き継ぎました。

49歳で亡くなるまでの30年間に、城を攻め、野に戦うこと70余度と数多くの戦を経験し、無類の強さを発揮したと伝えられています。
自らを「毘沙門天の生まれ変わり」と称し(現代なら完全にヤベー奴)、戦国時代でも屈指の戦上手だったことから、後世「軍神」、「越後の龍」などと呼ばれ崇められました。

生涯、妻帯しなかったことや、月一回、激しい腹痛を起こしていた(腹痛が始まると、戦のさなかでも撤退してしまったとか)記録があることから「女性説」が囁かれたりもしている謎の多い一面もあります。
前回取り上げた武田信玄とは「川中島の戦い」で、五回に渡って激突しつつも決着が着かず、終生のライバルだったことも有名ですね。

一般的な謙信のイメージとしては、前述の「戦上手」のほか「無私無欲」や「義の武将」などが挙げられると思います。実際、他国から救援要請されると、幾度となく出兵し、武田、北条、織田といった名だたる武将達と激戦を繰り広げました。
さらに、謙信の義侠心を如実に表した逸話のひとつとして、今回のマンガで取り上げた「敵に塩を送る」という故事があります。

時は永禄10(1567)年、武田信玄は駿河の今川氏との関係悪化により、甲斐国への塩の供給を止められてしまいました。
甲斐国(山梨県)はいわゆる「海無し」の内陸国。当然、領内で塩は採れません。そのため、塩はすべて駿河湾で採れたものを今川氏から購入していました。
塩が無くては人間は生きて行けませんし、食料の長期保存にも使えなくなりますから、さすがの信玄も最大のピンチに陥ったわけです。

これを知った謙信は、今川の塩留めを不勇不義の極みとして、越後で採れた塩を甲斐に送ったそうです。
なお信玄はその後、感謝の印として謙信に名刀・福岡一文字の太刀を贈り、この太刀は通称「塩留めの太刀」と呼ばれています。
これが「敵に塩を送る」の由来となったというわけです。

今日では「例え敵であっても窮地に陥れば、手を差し伸べる美談」と捉えられていますが、視点を変えると実は、謙信の「商魂のたくましさ」を感じられる逸話ともいえます。
今川氏に便乗して塩の供給を止めてしまえば、確かに長年のライバルを倒すことができるかもしれません。ですが反面、塩を売ることで得られる利益を失うことになります。「機会損失」というやつですね。
しかも競争相手がいない状態ですから、相場以上の価格で取引することが可能です!
ですから、実のところは「義を重んじる」というよりは「ビジネスを優先」して、あえて塩の供給を止めることはしなかったというのが実態のようです。

日本人好みの美談と思っていた方からすれば、実利を取ったというのは、ちょっと謙信のイメージと違うかもしれませんね(笑)。
この他にも、衣類の原料となったアオソ(麻糸)を、日本海からの海運ルートを通じて全国へと売り出し、莫大な利益を得るなど、謙信は「優れたビジネスマン」としても手腕を振るっています。

戦国時代はとかく内政や軍備など、領国経営に多額のお金が必要
全国の大名はみな、資金を確保するために、鉱山開発や交易による経済振興など、様々な手段を講じていますが、当時の大名には「戦争に強い」だけでなく、「ビジネスセンス」も要求されたわけです。
謙信は戦争は戦争、ビジネスはビジネスと、冷静な判断ができるビジネスマインドの持ち主であり、ビジネスの観点から甲斐国の塩不足は商機と捉えたのでしょう。
好機を見抜く状況観察力や、判断力は戦争だけでなく、ビジネスの場においても重視される能力。
様々な状況下で、優先順位を素早く見極めて、臨機応変に行動できるか否かがビジネスの明暗を分けるといっても過言ではありません。
「敵に塩を送る」の故事は現代においても、ビジネス戦略の良い手本と見ることができるでしょう。

ただ、謙信が「義を重んじた」というのは本当です。
謙信自身も「私利私欲で合戦はしない。ただ、道理をもって誰にでも力を貸す」と述べており、また信玄が死の際、跡継ぎの勝頼に「謙信は信用できる人物なので、困った時には謙信を頼れ。和議を結べば決して約束を破ることはないだろう」と遺言したところからも、いかに信玄が謙信の義理堅さを買っていたかが伺えます。

元々そういった謙信の人物評があったため、「謙信なら敵でも義によって助けることもあるだろう」という巷間のイメージから、美談として伝わったのかもしれませんね。

前回分はこちらから